だしブツ/自立と大人の嗜みと
1カ月に100本もの胡瓜を、
きんぴら、ミルク煮、天ぷらといった
数々の奇想天外な料理で、
食いつくしたという魚柄仁之助氏は、
「自分の責任で自分の「食」を
まかなうことを生涯続けられたら、
立派な自立した人間ではなかろーか?」(*1)
と明快この上ない。
魚柄仁之助。
以前にもこのブログで話題にしたことがある。
僕が勝手に晩酌の師とあおぐ御人である。
食にまつわる数々の名エッセイを
残しているから、エッセイストとしては
広く知られているけど、それだけではない。
ウェービーな長髪がトレードマークで、
あるときはブルースギタリスト。
またあるときはペーパーナイフ作家の顔もある。
そんな輪郭だけをなぞると
孤高で破天荒な芸術家といった
人物像が浮かび上がってきそうだけど、
実像は、かなり違うように思う。
これまで飽食に染まった日本の食卓の
良し悪しを、冷静にウォッチし続けてきた。
また、無類の酒好きで、
「今、ここにあるものをいかにして
おいしく食べきることができるか」
をモットーに、もうずいぶん前から、
サステナブルな晩酌ライフを営んでいる。
見えてくるのは、慎ましく堅実な
古き良き日本人の暮らしを
大切にする姿なのである。
それにしたって、いつ終わるとも
わからないコロナ渦にあって
冒頭の「自立した人間」における
魚柄さんの解釈は、目から鱗だった。
というのも、僕はこれまで
大人であることを難しく考えすぎていた。
具体的には、「自立した人間」と
「成熟した人間」を混同していたのだ。
食い扶持をつないでいれば
みな一端の大人。
魚柄さんの言葉が、
そのことに気づかせてくれた。
そしてそれは、僕にとって将来への
大きな安心となった。
人生、楽しく食い続けられれば万々歳。
それも立派な「自立した人間」の姿なり。
そんな心境になってからといいうもの、
僕の暮しに寄り添うsomethingとして
山崎方代さんの歌がある。
親が「生き放題 死に放題」という
投げやりな気持ちで名前をつけた
という逸話が残っている。生涯独身。
定職につかず60を過ぎてから、知人に
建ててもらったプレハブで暮らしながら、
気ままに歌を作り続けた、脱力の達人。
のせていそいそと
いつもの角を
曲がりて帰る」(*2)
若いころ、鎌倉の瑞泉寺にある
この歌の石碑を見つけたときは、
ナンジャコレって感じだったっけ(笑)。
少なくともこの脱力感、平身低頭ぶりは、
自分には、相容れないものだと思った。
でも、40代も後半にさしかかって、
あらためてこの歌を詠むと、
その魅力に気が付く。
何より、ちゃんと日常をみつめて
哲学しているのがスゴイ。
好物の豆腐を食べること。
それは自由であるということ。
すなわちこれは、生きていることの
大らかな讃歌だ。
そんな主張にも聞こえるこの歌が、
コロナ渦を模索する中年に響くのは、
ここにも歴然とした
等身大の自立した人間の姿が
映し出されているから。
僕は勝手にそんな風に詠み解いて
心の栄養剤とした。
歳をとり、丸くなってきたからこそ
見えてくるもの。
それをおざなりにしないことを。
もし方代さんが生きていたら、
このコロナ渦の世の中を
どのように過ごしただろうか?
「一日が浮世のように
長いので、急須の垢を
こすって落とす」(*3)
なんとはなしに目に入った、自粛生活に
お誂え向きの歌に妄想を膨らませる。
こんな風に、方代さんの歌集は、
妄想遊びに興じるためのスイッチが
そこここに散りばめられていて、
退屈しのぎにピッタリなのである。
さて、僕の自粛生活の浮世のように
長い一日は、急須の垢を落とす代わりとして、
常備菜を作ることに執心している。
ちなみにこの夏は、冷蔵庫にある夏野菜で
山形のダシもどきを仕込むのが習慣だ。
冷蔵庫で3日くらいは日持ちするから、
ごはんにかけるのはもちろん、
ソーメンの薬味かわりや
お酒のアテとしてもなにかと重宝する。
もうひとつメリットを付け加えると、
一度作れば、3日間は「自立した人間」
でいられるという安心保証がある。
ちなみにこの日は、
マグロのブツと合わせた一品を。
無論、上等な日本酒のアテとなる。【H・H】
(*1)
「自分の責任で自分の「食」を
まかなうことを生涯続けられたら、
立派な自立した人間ではなかろーか?」引用元:『冷蔵庫で食品を腐らす日本人』 著:魚柄仁之助 2007年 朝日新聞出版
(*2)
「手のひらに豆腐を
のせていそいそと
いつもの角を
曲がりて帰る」引用元:神奈川県鎌倉市「瑞泉寺」内 石碑より
(*3)
「一日が浮世のように
長いので、急須の垢を
こすって落とす」引用元:『迦葉』 著:山崎方代 1986年 不識書院
『 R E C I P E 』
通常、目標設定は斜め上におくものですが、それとは別にもうひとつ斜め下にも設定すると気持ちが落ち着くものです。具体的には、現状手に入れてるもので、これだけは失いたくないというものを明確にしておくこと。言い方が悪いかもしれませんんが、そうすることで自分がどれだけ手を抜くことができるかが見えてきます。でもこれは、自分がもうだいぶオジサンになったからこそたどり着いた境地なのでしょう。
「自分の責任で自分の「食」をまかなうことを生涯続けられたら、立派な自立した人間ではなかろーか?」
ある日、それまで気にも留めていなかった魚柄さんのこの言葉が、心に引っ掛かりました。つまり、この言葉そっくりそのままが僕の斜め下の目標だったのです。そしてこの一年、生き抜くことに息切れしそうな気分でいましたが、この斜め下の目標を設定してからというもの、気持ちにゆとりができたような気がします。
さて、僕の下の目標を達成するために大切なことは「ラクをすること」。そして「経済的なこと」。そんな食生活を持続するために活用したいのが常備菜です。今年は、春から初夏にかけては、島ラッキョウの塩漬けと山椒の醤油漬けを大量に仕込みました。そして、夏本番になってからは山形のだし擬きをよく作ってます。上記の2品ほど日持ちはしませんが、冷蔵庫で3日くらいは保存できるので、ごはんのお供としてはもちろん、お酒のアテにもいろいろ活用できます。とくに僕が気に入っているのが、このだし擬きといろいろなお魚との組み合わせ。たとえば、白身やイカの刺身と和えるのも好きですし、アジなどの焼魚と供に食べるのもいい。今回は、マグロのブツと合わせましたが(名付けて『だしブツ』)、いずれも極上の日本酒の供になります。
一緒にいただいた日本酒は、もうひとりの登場人物の山崎方代さんの地元でもある山梨県のお酒・笹一の純米酒です。おだやかな香りに、ほんのり酸味のあるまろやかな舌触りのお酒なので、繊細な味わいのお魚などと合わせても、食べものの味を邪魔することはありません。もちろん、今回の『だしブツ』とも好相性でした。
用意するもの A(胡瓜2本 茄子1本 カイワレ大根1パック 長芋200グラム 一味唐辛子小さじ1) B(醤油100ml 味醂100ml 酒200ml 酢30ml) 干しシイタケ中1個分(今回はカットされた干し椎茸を使っています) 塩昆布15グラム 鰹節適量
① Bを全て鍋にいれ沸騰したら1分間ほど煮る。火を止めて干し椎茸を投入したら常温まで冷ます。
干し椎茸が無い場合は、あえて買ってまで入れなくても大丈夫です。Bはあまり煮すぎると味が落ちるので気を付けましょう。
② Aの具材を全て食べやすいサイズに小さめに刻んで大きめの容器に入れ鰹節、塩昆布を加える
胡瓜はあらかじめ塩もみしてから刻みます。茄子は刻んだ後、5分ほど水にさらします。刻む大きさは、今回はだいたい5ミリ角ほどを目安にしましたが、お好みのサイズにきざんでください。
③ ②に①を注ぎ込んで全体を混ぜ合わせる。ラップをして冷蔵庫で3時間置く
混ぜ合わせたら、具材が空気に触れないようにラップをかけます。具材は今回のもの以外にも、ミョウガやネギ、シソなど、薬味となるものであれば何を加えても大丈夫です。